『すべての猫はセラピスト』発刊

猫はなぜ人を癒やせるのか
(2017年2月17日 掲載)

私は原発事故後、福島の被災地を取材するようになり、取り残された牛、猫や犬、野生動物とそれにかかわる人を追ってきました。『牛と土 福島3・11その後。』(集英社)を書いたあと、避難指示区域で生き、死んでいった猫や犬のことがずっと気になっていました。そこで、長年取材を続けてきたアニマルセラピーとあわせて一冊の本にまとめたのが、『すべての猫はセラピスト 猫はなぜ人を癒やせるのか』です。

世は猫ブームだという。だが、メディアやネット上に登場する猫の話や写真は、猫という生きものの一面にすぎず、猫と人間が出会う場は他にもあり、まだ伝わっていないドラマがあります。とくに猫の「心」は未知の領域です。本書では猫の「心」を探りながら、猫の癒やしの謎に迫ってみました。

人間が築いた街や家に棲んでいる猫たちが、何を感じ、何を思って生きているのか? そして、統合失調症などの精神疾患や認知症、知的障害などを抱え、苦しい状況にある人たちを、猫はなぜ、どのようにして癒やすことができるのか? この問いに自分なりのアプローチを試み、なんとしても答えるつもりで書きました。

警戒区域で保護され、シェルターで暮らす。ケージの中に段ボールの家が!
警戒区域で保護され、シェルターで暮らす。ケージの中に段ボールの家が!

アニマルセラピーの効果についての疫学的、生理学的研究もありますが、猫の心に近づきたい私には、動物行動学や動物生態学がとらえた動物の心の進化や感覚のありようが参考になりました。

動物たちには精神がなく「自動機械」にすぎないとするデカルトの説に、いま賛同する人はまずいないでしょう。ジャック・デリダやジル・ドゥルーズの動物とくに猫に関する言説は、猫の心を求めて踏み迷っているときに道標の役割を果たしてくれました。

しかし、ノンフィクションを書く者としては、目の前にいる猫、そして猫と人のふれあう姿を記録し、そこから自分の思考を紡いでいくほかありません。折しも原発事故によって人が住めなくなった広大な地域には、猫や犬、牛、野生動物たちが共存し、私には動物の「心」のフィールドのように思われたのです。放射性物質に汚染された大地に立って、そこから生きものの命にかかわる叡智のかけらなりとも見いださないでは、あまりに悔しいではないか。これが執筆の動機になりました。

人間には探りようがない、窺い知れない心をもつ猫は、かわいさに甘んじ、ペットであることに自足することもできます。が、人間に頼らずに自力で生きねばならなくなれば、心の奥底に潜んでいる野性を目覚めさせ、ときには強烈な野性をむき出しにする。人が複雑な心をもっているように、猫も深い心をもっています。読んでいただいた方に、私が感じとった猫の心の深さが伝わればと願っています。

人に抱かれて、猫は何を感じ、何を思っているのだろう?
人に抱かれて、猫は何を感じ、何を思っているのだろう?