原発がある不安となくなる不安

原発=関電マネーと紅どうだんの光
(2019年11月22日掲載)

岡崎まゆみ監督のドキュメンタリー映画「40年-紅どうだん咲く村で」。原発銀座と呼ばれる福井県の美浜町で40年以上、反原発を唱え、原子力発電所に依存しない地域のあり方を模索してきた男の、家族に支えられながら持続する静かな闘いが描かれている。

映画は8月末から3週間、大阪市内のシネ・ヌーヴォXで上映された。私はそのトークの場で初めて岡崎監督とお会いしたが、その前に試写版を見せてもらい、以下の推薦文を寄せた。

 原発立地の町村は、かつてはどこも貧しく、痩せた田畑を懸命に耕し、出稼ぎに行ったりして生活を営んできた。原発に伴う交付金により地方財政は潤い、地元で働ける仕事もできた。「原発があることの不安」は、「安全神話」によってかき消されていく。だが私たちは、福島第一原発のような事故が起きると放射能汚染が広範囲に及び、長期にわたって人が住むどころか立ち入ることもできない広大な国土が出現することを目のあたりにした。いま「原発再稼働の不安」に揺れる現地では、「原発がなくなることの不安」もかかえ込んでいる。電力会社は原発再稼働によって電気料金が大幅に下がると、巧妙なPR作戦を展開している。
 時代の空気に左右されず、10年先、20年先、50年先、100年先を見据え、新しい芽吹きを見逃さない眼をもちたいものだ。この映画は、原発立地の場にしっかり足を着けて静かな闘いを続ける男の姿と、彼が植え育てる「紅どうだん」の花木を通して、前途を照らす小さな灯を感じさせる。豊かな自然の美しさ、祭りの賑わいも花を添える。
 寄り添って咲く「紅どうだん」の花々や紅葉は、陽を受けて輝き、陽が沈んだあともほのかに地を照らしてくれるようだ。それは土地が灯す光のようであり、原発にあらがう意志の明かりのようにも見える。そして、いつのまにか映画を観る人の心にも、ぽっと灯っている。小さな、かすかな光であるが――。

上映期間が過ぎた1週間後の9月27日、関西電力は記者会見し、会長や社長を含む役員ら20人が、2011年からの7年間に、福井県高浜町の森山栄治元助役(2019年3月に90歳で死去)から約3億2千万円分の金品を受け取っていたことを発表した。2011年といえば、東日本大震災時に福島第一原発で大規模な事故が起きた年である。国内の原発は次々に停止し、原発に代わる自然エネルギーを指向する声が高まっていた。そんななかで再稼働を急ぐ原発の関連工事を受注する土木建築会社から、裏金が元助役に渡り、その一部が関電幹部に還流していたのだ。それだけではない。2011年以前にも、八木会長が金品を受け取っていたことがわかっている。10月9日に会長ら7人の引責辞任が発表されたが、社内調査は原発関連の役員らを対象にした一部の期間に限られている。

今回の発覚のきっかけは、原発工事を受注した土木建築会社への税務調査だったようだ。「吉田開発」から元助役へ約3億円が流れ、さらに関電側に渡っていく。関電は1年あまり前にその調査結果をまとめながら公表しなかった。関電は高浜原発だけで、これまで5千億円超の安全対策費を投じている。停止した原発を再稼働するためには、地元の有力者に頼らざるをえない事情があったのだ。だが、その金の元をただせば、契約者が支払った電気料金である。

関電の報告書には、「東日本大震災後、原発の早期再稼働を実現することが喫緊の課題となり、各発電所で大規模な安全対策工事を進める中、森山氏への対応の頻度は多くなった」と記されている。高浜原発はとくに、プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を使うプルサーマル発電で、安全性が疑問視され反対する声が強かった。そんな状況を背景に、電力会社と地元の顔役との癒着の構図が浮かび上がってくる。

原子力事業本部の幹部らは、現金、商品券、仕立券付きスーツ生地、金貨、米ドルなどを受領し、「個人として保管」したまま昇進を重ね、出世街道を突き進んだ。また、関電の監査役会は社内調査報告書の内容を共有し、金品受領問題を把握していたにもかかわらず、取締役に不正行為があれば取締役会に報告する義務を怠り、何も報告していなかった。原発を設置し、運営管理しているのは、こんな会社なのだ。下請け従業員のあずかり知らぬところで采配を振るっているエリート集団は、こんな人たちなのだ。

原発は取り返しのつかない事故や損害をもたらす危険をはらんでおり、原子力発電所は歓迎されざる「迷惑施設」である。一方、それは地元に雇用と経済的豊かさをもたらす、歓迎すべき、いや歓迎せざるをえない施設なのだ。1974年の電源三法の成立以降、原発立地に伴う交付金による地方財政援助の仕組みができあがった。この交付金のほかに電力会社からの寄附金が入る。77~87年、森山助役の時代に、高浜町は電源三法交付金約72億7千万円と、関電からの寄附金約35億8千万円を得た。その寄附金は海岸の埋め立てや護岸工事、学校整備、体育館や野球場の建設などに充てられた。

森山栄治は69年に入庁。翌70年に高浜原発1号機が着工。1号機は74年、2号機は75年に運転開始。森山が誘致を推進した高浜原発3、4号機が80年に着工。金沢国税局の調査で森山から関電役員に渡った金品に、その裏金が使われたとされる土木建築会社・吉田開発の設立は81年。森山は87年に助役退任後、吉田開発の顧問に就く。同社は90年代半ばに地元で業界大手に挙げられるまでに成長し、やがて入札を経ない独占的な「特命発注」を受けるようになる。関電は森山に、工事の発注時期や概算額などを記した資料を渡していた。そして福島原発事故後は、停止した原発の再稼働を狙う関電幹部への金品攻勢に拍車がかかる。

いったい森山は、地元と顧問会社へ利益誘導を図りながら、関電のエリートたちのことをどう思っていたのだろう。彼らは金品の受け取りを強く迫られて断りきれなかったと説明している。直ちに返却することは困難だった、と。森山個人の周辺をもっと取材しなければうかつなことは言えないが、利権がからむ原発マネーの蜜に群がってくる蟻をかき分け、蹴散らすようにして世を渡ってきた人物が浮かんでくる。札束を数えて菓子折の下に現金や金貨を潜ませる姿、叱責や激高を伴う脅迫的な受け取り要請は、札束でほおを叩く行為とそう違わないのではないか。原発マネーの闇に札束はつきものだ。

原発の立地は原子力技術があって実現するものではない。放射性物質の管理や原子炉の運転に伴う危険と、地域的な貧富の差があいまって成立する。それは豊かな都市部と過疎地の経済的格差の上に立って結ばれた一種の取引といえるが、交付金や寄附金と抱き合わせの原発の危険性は「安全神話」によってかき消されてしまい、行き着く先は福島原発事故であった。

ここで映画「40年」の話に戻ろう。映画に登場する美浜町議会議員の松下照幸さんは、若狭地方で反原発を唱えつづけてきたから常に少数派であった。映画のパンフレットに記されている「嫌われてもかまわない。負け続けても諦めない」という文言は、原発に抗する彼の立ち位置を明確に示している。1986年のチェルノブイリ原発事故は、自分の考えが間違っていないことを確信させた。しかし、彼はただ「危険な原発は止めればよい」と思っているわけではない。

「原子力発電所で働いている人の生活もあれば、自治体の財政問題もあります。それらを解決しようとせずに、ただ『止めればよい』と言うのであれば、私はそういう都会の多くの人たちに反旗を翻さざるをえません」
松下さんは、地域で消費するものを地域で生産・自給する『地消地産』を提唱している。とくにエネルギー、食、住宅分野の消費は大きく、バイオマスや住宅建材に豊かな森林資源が活用できるという。松下さんが住む美浜町新庄地区には広大な共有山がある。勤めを辞めて「森と暮らすどんぐり倶楽部」という自然体験拠点を立ち上げ、「森の中の喫茶店」を運営している。そして「紅どうだんつつじ」。当地の標高300~900メートルの山に自生している花木を増やして育てている。

私は映画館で「40年」を観たあと、岡崎監督に「紅どうだん咲く村」を訪ねたい、松下さんを紹介してほしい、と頼んだ。そして訪問の日を決めた矢先に、関電役員らの金品受領問題が明るみに出た。映画の舞台である美浜原子力発電所には最初から寄るつもりだったが、高浜原発をめぐる騒ぎが起きてみると、原発事故後の福島を長年取材してきた者としては再稼働に揺れる高浜にも足を延ばさずにはいられなくなった。もちろん発電所の中には入れないが、周辺をうろつくぐらいのことはできるだろう。結局、松下さんに分けてもらった紅どうだんの苗木を車に積んだまま、美浜、大飯、高浜と、3ヵ所を回った。

美浜原発は1、2号機が廃炉決定。3号機は運転期間延長が認められ、来年7月の再稼働に向けて安全対策工事が進められている。美浜原発の1号機は1974年に蒸気発生器細管漏洩事故で6年6ヵ月間停止、2号機は1991年に蒸気発生器伝熱管損傷事故で3年8ヵ月間停止、3号機は2004年に2次系(復水)配管破損事故で2年6ヵ月間停止した。3号機の事故では5人の命が失われ、6人が重傷を負った。運転中の原発の事故としては国内最悪の規模だった。運転開始から28年間、一度も点検されなかったことが原因で高温の蒸気噴出に至った。「原発がある不安」はたびたび的中しているのだ。

美浜原発付近ではダンプカーや工事車輌が頻繁に行き交っていた。フロントガラスの下に、関西電力と大手ゼネコンの社名、登録車輌ナンバーを大きく記した旗を張りつけてある。
大飯原発は1、2号機で廃炉決定。3、4号機はすでに再稼働している。ゲートに近づいてカメラを構えると、「ここは撮影禁止です」。若いガードマンが叫んで飛び出してきた。
高浜原発では美浜を上回る数のダンプカーが走り回り、ゲートを出入りしていた。再稼働した3、4号機に続いて、1、2号機を動かすために必要な工事が急ピッチで進んでいる。原子炉建屋に近い道路沿いも深く掘り下げる工事が進行中だ。

福島原発事故後、安全対策費はますます巨額になってきている。毎日新聞による電力11社へのアンケート調査では、15原発で計5兆3844億円余りになっている(2019年11月16日付朝刊)。3原発をかかえる関西電力だけでも、計約1兆254億円。テロや津波の対策をはじめ、使用済み核燃料プールの水漏れ対策、機器の強化や破損防止などの安全対策は、本来なら原発事故前から対応しなければならなかったものである。原発は安全に運転しつづけるにしても、金食い虫どころか、金を食うモンスターと化す。さらに、いったん福島のような事故が起きれば、放射能汚染防止・除染対策や賠償に際限もなく出費が膨らむことを現実が示している。

しかも、原発内で保管している使用済み核燃料は、各原発ともあと6~9年で満杯になる見込みだ。関電は使用済み核燃料の中間貯蔵施設を早期に見つけると福井県に約束しているが、どうなるか。さらにいえば、そういう高レベル放射性廃棄物が発する放射線量が、健康や環境に害を与えない程度に弱まるまでにかかる時間は、数十万年とも100万年ともいわれている。原発がある不安はいつまでも、どこまでも続く。どんなに札束を積んでも、金で時間は買えない。

高浜町の人口は約1万人。安全対策工事と4号機の定期検査中で約6千人が働いているが、その多くは町外から来た人たちだ。長期滞在する作業員らが宿泊する民宿などの施設は100件を超える。
かつて高浜には関西から大勢の海水浴客が訪れた。私も中学生のとき、臨海学校の海は高浜だった。旅館の近くにあった小さな書店だったか、雑貨屋だったか忘れたが、水木しげるの漫画の単行本を買った覚えがある。海水浴客の賑わいは夏休みの終わりとともに消え去る。冬は雪に閉ざされ、男たちは出稼ぎに行くため、人影はさらに少なくなったであろう。白砂と緑の湾に原子炉建屋の姿はなく、海の輝きにつつまれていた中学生は夏以外の高浜を想像もしなかったが――。

大型車が通れる広い道などほとんどなかった、昔の貧しかった若狭地方を知る人たちは、ダンプカーのひっきりなしの往来や作業服の集団を見るにつけ、廃炉に向かおうとしている時代、原発が地元に落とす影を感じてしまうという。発電所近辺の近年の活気は、福島原発事故後の新規制基準に基づく安全対策がもたらした特需によるといえる。いつまでも続くものではない。町に入る税金・交付金収入なくなればどうなるか。例えば、高浜町の一般会計予算105億円のうち、55億円が原発関連の収入である。作業員の地元での消費が、そもそも雇用がなくなればどうなるか。近い将来、いちだんと過疎が進み、また出稼ぎに行かねばならないかもしれない。

原発がなくなる不安は消せないが、関電は美浜発電所のパンフレットで、「加圧水型原子炉の廃止措置のパイオニアを目指し安全最優先に廃止措置を進めていきます」とうたっている。廃止措置の流れを2045年度まで、解体準備、原子炉周辺設備解体撤去、原子炉領域解体撤去、建屋等解体撤去の4段階で示している。この期間、地元にどれだけの収入や雇用をもたらすかは未定である。それに、この下り坂を無事に下りることができるのか、安全面も問われる。

今後、原発立地地域が原発に大きく依存するのが難しくなっていくことは確かだ。だが、「原発がなくなる不安」など、都市の電力消費地の人間にとっては余所事にすぎない。福島原発事故が起きるまで、「原発がある不安」がそうであったように。それに、事故後に日本中の原発が止まっても電力は足りたのだから。原発銀座といわれる立地地帯と電力を大量消費する都市は、金と電線でつながり原発マネーが闇に還流しても、危険性は共有できない。

映画『40年』には、紅どうだんが自生する山や地域の祭りの風景も出てくる。私はこの映画で、小さな紅どうだんの花木が原発に対峙するように山奥に自生して咲いているのを見た。また現地で、「地消地産」を実践している松下さんが紅どうだんの苗木を植え育てているのを見た。
春には花が灯り、秋には葉が燃える。小さな光が集まって行く手を照らす――大地の篝火。