『ひとり、家で逝く』
―在宅死と看取りの現場から―

眞並恭介著
電子書籍 Kindle版
598円(税込)
66ページ、ファイルサイズ:1093 KB
出版社:CLAP
販売:Amazon Services International, Inc.

■おひとり様が迎える「死に際」の真実とは?命を看取る在宅ケアの現実が物語る、衝撃のルポ。

――死を受け容れ、安らかに旅立つために。

「まえがき 人生の終わりをどう迎えるか?」より

私は思いがけず、独り暮らしの末期がん患者の家で、人を看取り、見送ることになった。まさか、医療・介護のスタッフが一人もいない状況で、死にゆく人を見守ることになるとは思いも寄らなかった。 彼にとって私は在宅ケアの取材に来た者にすぎなかった。しかし、彼は刻一刻と近づく命の終わりを感じつつ、自分の生涯を振り返り、思い出すままに語ってくれた。それは「ばちあたりの人生を送ってきた」と言いながら、最期は「ありがたいなぁ、ありがたいなぁと思うばっかし」に至った男の話である。

彼の容態が悪化して訪問を延期したときに、携帯電話越しに聞いた声、「もうおおかた話をしたから、あとはそろそろ逝かんとなぁ」というのが最後の会話になった。その1週間後、約束の時間に行ってみると、のどの奥から洩れるゼイゼイ、ヒューヒューという喘ぎが静かな部屋に響いていた。私はただその場にいることしかできなかった。 遅かれ早かれ死は誰にもやってくる。たとえ独居であっても、死に場所として家は悪くない。身寄りが一人もいなくても、慣れ親しんだ生活の場で死ぬのは自然なことに思える。むしろ病院で死ぬことは旅先で死ぬこと、いわば客死に近いのではないか。

なお、命という厄介なものを扱う医療・介護スタッフの、プロの仕事ぶりにも注目していただきたい。それが終末期の安らぎと穏やかな在宅死を可能にする。

■目 次

まえがき 人生の終わりをどう迎えるか?

第一章 「おひとりさま」の死に際

最後のお風呂か、それとも湯灌か/最期は孤独でも無縁でもなく/余命予測が外れた不思議な患者/死前喘鳴を聞きながら/痛みとの闘い/「不思議な人」は何者?

第二章 孤独な日雇い人生に落ちて

東京での学生時代と結婚/人生の歯車が狂いだして/遺産金を蕩尽し、日雇い生活へ/大震災とともに葬ったもの

第三章 闘病生活

がんの手術、7年後の再発/通院治療から在宅ホスピスケアへ/感謝しつつ「そろそろ逝かんとなぁ」

第四章 ひとり、家で逝く
喘鳴が静かに終わるとき/「よう、がんばらはった」/病人だった死者が遺体となるとき/孤独死ではない「おひとりさま」の最期