声は死なない

日下武史の声

(2017年5月17日 掲載)

俳優の日下武史さんが亡くなった。86歳。日下武史は劇団四季の創設メンバーの一人である名優だが、私にとっては「声の人」である。

私は文学作品を眼で読むよりも、耳で聴くほうが好きだ。仕事場には朗読のCDやカセットテープが、おそらく500以上あるだろう。そのなかでも日下武史が読んだ作品群は、特別な位置を占めている。朗読に関してマニア的な収集癖を助長したのは、日下武史の声があったからである。

夏目漱石『草枕』、幸田露伴『五重塔』、中島敦『李陵』、太宰治『富嶽百景/トカトントン/満願/佐渡』、山本周五郎『雨あがる』。それだけではない、子どものころのテレビ番組『アンタッチャブル』でロバート・スタックが扮したエリオット・ネスは、日下武史の声を抜きに語れない。

声にかっこいいという形容はどうかと思うが、その声はまことにかっこいいものだった。世界の非情さに通底し、渋い深みからユーモアが浮き漂ってくる。知的な大皿に情がたっぷりと盛られ、韜晦や滑稽のスパイスが効いている。智に働き、情に棹さし、意地を通す者の姿や心を自在に描く声だ。

日下武史の声で聴くまでは、『草枕』は私には退屈な本だった。それが一変した。日下武史とともに田舎の温泉宿に逗留していると春風駘蕩、溢れる言葉の湯につかったようで心地よい。あの声が背中を流してくれたようで、胸にストンストンと落ちるものがある。今では漱石で最も好きな作品になっている。

『五重塔』は読みにくい、何度か読もうとして諦めた本だった。だが、意味なんてわからないものがあってもよいのだ。登場人物や心の動きが劇画のようにくっきりと描き出されて、はらはらドキドキ夢中になる。塔が激しく揺すられて耐える大嵐の場面は、その言葉の激烈さにおいて古今の小説や舞台を凌ぐかと思われる。『李陵』は、運命に耐える男のドラマにしびれる。太宰治の作品や『雨あがる』に漂うコミカルな感じは、文字を読むという能動性をうっちゃって声に聞き惚れることでいっそう浮き立ってくる。

私は乗り物で移動するときや取材先で宿泊する夜などに、朗読をウォークマンやiPodに入れて聴いている。これがあれば本を読めない車中泊の暗く長い夜にも、淋しい思いをしなくてすむ。とくに原発事故後、人のいない避難指示区域で辺りに野生動物の気配を感じながら過ごす闇夜などに、人間が生み出した言葉が天啓のように響くことがある。また、地に蠢くように生きている人へのいとおしさが湧いてくることも。

日下武史さんの死は、スペインで静養中のこと、誤嚥性肺炎によるという。その肺が送った空気とともに生まれ出た言葉は消えることはない。声は死なない。これからも私の耳を愉しませ、心を慰撫し、ときには鞭打ってくれるのだ。