『牛と土』文庫本 ―福島、3.11その後―

眞並恭介著
集英社
定価 691円(本体640円+税)
文庫サイズ 314ページ
C0195 ISBN 978-4-08-745707-0
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■牛飼いたちは、あきらめない。
講談社ノンフィクション賞、日本ジャーナリスト会議賞(JCJ賞) W受賞作!

『牛と土』が文庫本になりました。
新たに「あとがき 牛たちの七年」を加筆しました。
解説:小菅正夫さん(獣医師・旭山動物園元園長)
オビの推薦文:中沢新一さん(人類学者)

―表紙カバーより―

東日本大震災、福島第一原発事故で被曝地となった福島。警戒区域内の家畜を殺処分するよう政府は指示を出した。しかし、自らの賠償金や慰謝料をつぎ込んでまで、被曝した牛たちの「生きる意味」を見出し、抗い続けた牛飼いたちがいた。牛たちの営みはやがて大地を癒していく―。そう信じた彼らの闘いに光を当てる、忘れてはならない真実の記録。第37回講談社ノンフィクション賞受賞作。

―「文庫版あとがき 牛たちの七年」より―

主人公の安糸丸兄弟と話をする飼い主の渡部典一
主人公の安糸丸兄弟と話をする飼い主の渡部典一

この本を書き上げてから三年の時間が経った。原発事故から七年が過ぎようとしている。主人公である双子の兄弟牛、「安糸丸」と「安糸丸二号」は今もふるさとの帰還困難区域に生き延びている。五〇頭を超える仲間、そして飼い主の渡部典一とともに。彼ほど牛を愛している男を、私は他に知らない。

私たち見慣れぬ人間が顔を出すと、「安糸丸」と「安糸丸二号」は威風堂々とこちらを睥睨しつつ群れの前に出てくる。が、渡部にだけは甘えて擦り寄っていく。渡部を取り囲む牛たちは、家畜と野生の狭間に生きている。産業動物でも実験動物でもない、巨大な愛玩動物のように見える。

双子の兄弟牛が棲む小丸の牧場にも季節は巡り、自然は輝くことをやめない。 春ともなれば青草が芽吹き、牛のおそらくは笑顔と思われるなごやかな表情が増えてくる。蝶と戯れる牛を見ながらその数を数えていると、こちらも眠くなってくる。一頭、二頭、三頭……。巨大な牛と小さな蝶を、ともに「頭」と数えるのはなぜかおかしいな。

炎天の樹下に涼を取る牛たちが、入道雲の湧く空をしきりに見上げている。シャワーを浴びるための雨乞いでもしているのかい? 秋にはふと、いなくなったはずの放れ牛が出現したのかと思うことがある。野分に吹かれるススキの群れがなびくとき、野辺に立ちこめている霧が動くときも、羊雲や天の川を見ても、一瞬、放れ牛の幻影かと迷う。

生き延びている牛の餌が冬には乏しくなる
生き延びている牛の餌が冬には乏しくなる

生き延びている牛の餌が冬には乏しくなる
凍てた土に響く蹄の硬い音を立てて牛が寄ってくる。冬の野の枯れ草よりも、やっぱり乾草ロールや配合飼料はうまいのだろう。牛たちの吐く息の白さ。このような白い息を吐き、吐き、吐き終わって安楽死処分の牛たちは死んでいった。 「安糸丸」兄弟の吐く息も白い。彼らは生き延びていくだろう。 いつも静かに笑っているような顔を牛と寄せ合っている渡部の息も白い。

これほど牛に愛されている人間がいることを、私はここへ来て知った。無人の大地に生きる「安糸丸」たちが、そっと教えてくれたのだ。