無限充足-朝日新聞1999年4月25日付朝刊から

生の喜び絵筆に込めて
難病ALS患者が画文集

 全身の筋肉がまひし、最後は呼吸ができなくなる難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の男性が、肉体の衰えが進む中で絵筆を執り、京都の美しい自然や名刹を描いた水彩画を一冊の画文集にまとめた。最後に筋力が残された目とあご。そのわずかな動きを利用して、一作一作に、闘病生活や死への不安、絵や自然が与えてくれる生の喜びをつづったエッセーをつけた。

「京都の自然」題材に エッセーは目とあごで

 京都市伏見区醍醐新町の高田俊昭さん(四八)。タイトルの「無限充足」(むげんじゅうそく)は、病気に打ち勝とうと学んだ「気功」の精神の一つの到達点を表した造語だという。

 発病したのは十年前。京都府立医大病院の職員で、三人の子の父親だった。医師は家族に「あと一?二年の命」と伝えたという。下肢の筋肉が衰え、職場で転ぶことが増えた。自立歩行が次第に難しくなり、休職した。

 絵を本格的に描き始めたのは、妻の厚子さんから初めて病名を知らされた一九九一年の春。「残り少ない人生を有意義に生きよう」と、学生時代に夢見た「画家への道」を歩み始めた。生まれ育った醍醐寺周辺や鴨川、嵐山などの自然を題材にした。「開発が進み、昔ながらの自然がどんどん消えていく。『日本の原風景』を絵にとどめておきたい」との思いからだったという。

 最後は指先に力が入らなくなった。指の間に絵筆をはさんでテープでぐるぐると巻いた。筋力が失われた腕を器具でつり上げ、こん身の力を込めて全身で描いた。

 五年前には呼吸筋が衰えて呼吸困難に。人工呼吸器をつけ、在宅療養を始めた。介護をしてくれる妻や子供たち、治療や訪問看護に携わる医師やヘルパーらに「自分の言葉でお礼を言いたい」と画文集の出版を決め、水彩画五十九作を収めた。

 エッセーの多くは、絵を描けなくなった後に「書いた」。五十音順にひらがなを並べた透明な文字盤を介して妻と視線を合わせることで文字を選んだり、光センサーにわずかなあごの動きを感知させて、パソコンに文字を入力していく方法をとった。

 高田さんは、画文集にこう記している。

「体は動かず、声すら奪われた今でも、大樹のように酸素を放出し、ときには疲れた旅人に安らぎの木陰を提供できるような、そんな大樹になって妻や子供にメッセージを送りたい」