東京大学でシンポジウム開催
(2017年2月23日 掲載)
「放射能を浴びているから電気を消すと光ると思った」
関西学院大学の外国人講師が授業中、福島県出身の女子学生にこんな発言をして減給3ヵ月の懲戒処分となったことを、一昨日の夕刊が報じている(毎日新聞、朝日新聞)。発言は2014年秋、懲戒処分は今年2月17日付である。出身地を尋ねられた学生が「福島県」と答えると、講師は電気まで消し、日本語と英語で「放射能を浴びているのに光らないね」と言ったという。学生はショックを受け、大学の授業を休みがちになった。
昨年11月には、福島県から横浜市に自主避難した中学1年生の男子生徒が市立小学校に転入直後から、「放射能」や「菌」と呼ばれ、蹴られたり金をせびり取られたりしていた問題で、生徒の手記が公表された。
「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった。なにもていこうできなかった」と、生徒は苦しい胸の内を綴っている。「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」
原発事故後、放射能という言葉は人を攻撃し、傷つける武器になったのだ。それを生み出す根底には、生きものに危害を与え、殺傷能力さえもつ放射能の目に見えない恐怖がある。排除されて居場所を失う不安が強まる格差社会、生きづらい大人の社会の反映に帰することもできるが、それを触発したのは放射能であり、原発事故で飛散した放射性物質の存在である。恐怖を伴う放射能は、色分けされた汚染地図を越えて日本の社会に、いじめが横行し差別が渦巻いている社会へ拡散したのだ。
いじめのターゲットにされないために、他人の顔色を窺い、見て見ぬふりをすることはできても、放射能の顔色を見てやり過ごすことはできない。低線量被曝の影響を判断するにはまだ時間がかかる、と私は思っている。
東日本大震災・原発事故から6年目を迎える。「もう一度振り返り、現在進行形の被害や誤解の解決、そして将来に向けての教訓を得ること」。そのためのシンポジウムが3月18日(土)、東京大学で開催される。
「あのときの、あれからの福島」と題したシンポジウムの内容は下記のとおり。私も「被災動物は何を語るか〜原発事故後の牛、犬、猫たち〜」というテーマでお話をすることになっています。関心のある方にはぜひ来ていただき、一緒に考えたいと思います。
科研費・災害復興のための哲学構築シンポジウム
「あのときの、あれからの福島」
2017年3月18日(土)午後1時
東京大学本郷キャンパス・法文二号館二階・一番大教室
導入
- 相川祐里奈・『避難弱者』の著者
「あの時福島原発付近の介護施設で何があったのか」
コメンテータ 桜井勝延・南相馬市長
「避難を余儀なくされた介護施設」
- 安東量子・「福島エートス」の主催者
「福島で暮らす/暮らせる、暮らさない/暮らせないということ」
コメンテータ 早野龍五・東京大学理学部教授
「測って、伝えて、袋小路。-どこで掛け違ったのだろう-」
- 眞並恭介・『牛と土』の著者
「被災動物は何を語るか〜原発事故後の牛、犬、猫たち〜」
コメンテータ 一ノ瀬正樹・東京大学文学部教授
「被災動物、そして動物倫理の暗闇」
- 後藤あや・福島県立医科大学教授
「震災後の母子保健:エビデンスをつくり、伝え、使う重なり」
コメンテータ 高村昇・長崎大学原爆後障害医療研究所教授
「クライシスコミュニケーション〜リスクコミュニケーションでの体験から」
ダイアログ
[入場自由・無料]
PDFプログラム・ポスターは東京大学大学院・哲学研究室のホームページにあります。