(2017年4月29日 掲載)
先日、大阪のライブハウス「ロイヤルホース」で、敦賀明子のジャズオルガン演奏を聴いた。2001年にアメリカへ渡った敦賀さんは、ハーレムのジャズクラブで演奏活動を続け、今では「オルガンの女王」と絶賛されている。今回はニューヨーク在住の敦賀さんの来日ツアーの一環。カルテットのメンバーは、トランペットがジョー・マグナレリ、ドラムがアキラ・タナ、ギターが井上智。こういうのを「ファンキー」というのだろうか、濃い音色に酔い痴れ、夜の更けるのを忘れた。
その一曲に、敦賀明子作曲の「So Cute, So Bad」があり、曲のいわれを解説されたのがおもしろかった。敦賀さんはもともと犬派で、16歳の愛犬がいるところへ、日本の動物愛護センターのような施設から譲り受けた1匹の猫がやってきた。たちまち一家の平安を掻き乱し、走りまわり、跳びまわり、引っかきまわし、悪さのかぎりを尽くしたという。テーブルの上のものをすべて落とし、グラスを割り、壁や家具に爪を立てる。
かと思えば、オルガンの上に乗って奏者をじっと見つめている。魔法のような音楽にうっとりした様子で(眠いだけかもしれないが)。まさに “So Cute, So Bad”。こんな猫のかわいいワルぶりは、仔猫を飼った人なら誰でも経験があるだろう。“So Cute, So Bad” は、敦賀さんのCDのタイトルにもなっている。曲の中には猫の引っかく音も表現されている。
私は敦賀さんのライブの前日まで福島へ取材に行っていた。そこには一生を室内で暮らす都会の飼い猫とは違う日常を送る猫たちがいる。ある畜産農家では、数頭の母牛と2頭の仔牛が棲む牛舎に猫が出入りしていた。猫は3匹以上、それぞれ気ままに牛舎と家、庭、畑を徘徊している。
牛舎で獣医師が母牛の尻から腕を突っ込んで妊娠鑑定を始めると、猫は仔牛と並んで興味深そうに眺めている。続いて人工授精の様子も観察していたが、それにも飽きて牛舎から駆け出した。春の野に蝶を追いかけたり、満開の桜の木に登ったり。ここでは何をしても、 “So Bad” と言われる心配はない。
飼い主は80歳を超え、腰が曲がり、牛の世話がだんだん辛くなってきているようだ。いつまで続くだろうか。息子は町で暮らし、牛を家畜市場に出すセリの日しか手伝わないそうだ。牛の飼育に比べれば、猫を飼うことはうんとたやすい。
仔牛たちは、猫に負けないくらい “So Cute” だ。その眼や鼻や舌にふれるものすべて、世界は驚きに満ちている。だが、仔猫ほどいたずらはしない。母に甘え、仔牛同士じゃれ合っている。この仔牛たちがここで来年の桜を見ることはないだろう。一般的な肉牛の場合、生まれて8ヵ月〜10ヵ月してセリに出され、さらに肥育農家や大規模な肥育場で18ヵ月〜20ヵ月ほど肥育されたのち、屠畜場へ送られ、肉牛としての役目を果たすことになる。だから、母親と別れてどこか別の場所で来年の春を過ごすことはあっても、この牛舎から眺める桜景色は今年だけだ。
それを思えば、牛たちに “So Bad” であってもいいのだよ、と言ってやりたくなる。敦賀明子の「So Cute, So Bad」はいい曲だ。いい音楽もいい時間も、仔牛たちの春も、あっという間に過ぎ去る。