医食同源の文化誌 お茶は医食同源の始祖

食物と薬の境界線

熱さましや痛みどめの薬はその効果がはっきりするから、解熱剤や鎮静剤は人から信頼される薬の模範生といってもよい。

 しかし、からだがどことなく具合わるいときは、薬の模範生では役に立たない。この場合には栄養剤がつかわれる。栄養剤は長期間つかうと服用が不規則になりやすいが、このあいまいさがあっても、元気が回復できたら栄養剤が効いたとおもう。栄養剤は総合ビタミン薬が主力で、ビタミンA、B、C、D、Eのどれが不足してもいけない。栄養剤はつねに補給され、健康の御守りとなっているが、この考え方にはぬけ穴がある。

 からだは車とくらべて比較ができない複雑な構造だから、車輪に油をさすように簡単には補修できない。栄養剤を年中つかっていても、病気にかかる場合もある。健康を維持するためにはビタミン類だけではとても不十分で、毎日三度の食事、それも調和のとれた食事をとることが、健康のために最高に大切なことが中国医学で実証されている。

 食事が日に三度食べられないことがときにはある。その理由が仕事の多忙、ダイエットのための減食、不規則なくらし方、虚弱な胃腸のどれであっても、食事を規則的にとらないのは、毒を常用しているのと同じように健康によくない。

 からだと車の相違に、もうひとつ大きな点がある。人は心を動力源にもって生きるから、くらしでおきるストレスは、からだへ毒になってはたらく。心にも健康のぬけ穴があることを忘れては手おちになる。

 食べ物がおいしいのはからだが健康だからで、からだが好調のときと不調のときでは、食べ物のうまさに差が大きい。食べ物の味は健康を知る指標になっているのに、この大切な調節器をうまく操作していない場合がよくある。

 世界の料理の中でも中国料理は第一級の味をもっている。中国人が料理の味を上手にとりだす技術に長じ味の感覚がよいのは、つねに食べ物の味で健康を敏感に感じとる素質があるからだとおもう。彼らの舌の感性の繊細さが健康管理にいかされていて、健康がくずれて病気の状態へ傾斜していくのを食べ物によってみつけているようだ。

 中国料理の味をつくりだす技術は健康管理の役目をもっている。薬草を数種組みあわせた煎じ薬で病気を治療する独特な中国医学が、料理技術の発達とあわせて生まれてきた。この伝統をひとことに医食同源といっているが、この言葉のもっている意味はじつに深い。医食同源について、われわれはまだ不勉強で知識がたりない。

比類のない中国の料理文化

 中国料理の特色は、料理の技術と味の感覚がすぐれていて、材料のもっている味を十分にとりだせることだ。日本料理は材料にあまり手をくわえないで料理の味をつくるから、刺身は生身のままを食卓にのせるし、旬の味といっている季節料理でも、木の芽、筍、松茸などの料理は、材料の鮮度が料理のいのちになっている。

 中国料理は、材料を加工する技術を十二分につかい、料理技術の工夫で味をこしらえだす。だから、材料はきわめて多種多様のものをつかえる特色がある。特殊な材料をあげると海ツバメの巣、ニワトリのトサカ、フカのヒレ、クマの掌、ラクダのコブ、シカの脚の腱など、想像をこえる品々をつかう。いかなる材料でもそのもち味をとりだしておいしい料理をつくる技術は、中国人がもっている独特の才能で、この才能は日本にも欧米にもない中国独自の料理文化をはぐくんだ。

 中国人はみずからの料理文化が世界に比類のないことをこころえていて、この特色をたのしいたとえ話で説明する。中国料理では、この世の生き物は全部材料につかってうまい料理にすることができる。空の鳥、地上の動物、水中の魚はどんな種類のものでも全部料理にする。だから料理につかえないものは、わずかしか残らない。それは空を飛ぶ飛行機、地上にいる四つ足は机と椅子、海中では潜水艦だけだ。表現が奇抜なようだが、真実はけっして奇抜ではない自信をもっている。

 とはいえ、中国料理は材料の特異さが本質ではなく、食べ物により健康を管理することを徹底的に研究した余剰から、多彩な料理を生み出しているだけだ。

食べ物の価値は第一にエネルギー源になるからだの燃料だが、車のエンジンとちがって人は頭脳をつかい、脳から全身へ情報を洪水のように流している。大量の情報流通をなめらかにするためにも燃料はたくさん消費する。体内の情報流通のために燃料を大量に消費する特殊な生き物が人間で、一日に三回も食べ物を食べる生物は人間しかいない。

 その理由は人が脳で燃料を大量に消費するためだ。人のからだの燃料の消費量をわかりやすく理解するために、血液中のグルコースの消費量で換算してみると、グルコースの一日の総消費量の二十パーセントが脳で消費される。脳の重さは体重の三パーセントしかない。この三パーセントの中で二十パーセントのグルコースが燃えているのだから、脳の大食漢ぶりが知れる。

お茶は健康交響曲の主旋律

 からだの燃料のつぎに大切なものとしては、潤滑油が欠かせない。燃料を効率よく消費させる協力者の潤滑油は野菜だった。からだの中で潤滑油の野菜がはたしている役目はたくさんある。役目の主要なものをあげると、消化、健胃、吸収、利尿、便通、消炎、鎮痛、鎮静の作用であり、野菜は薬であった。中国医学は野菜がもっている薬効データを詳細に知りつくしている。料理の材料がすべて薬だから料理は当然に健康食で、しかも味はいうまでもなくおいしい。

 潤滑油の役目でもうひとつ大切なことは、からだへの給油が四六時中とぎれてはならないことだ。連続して補給できる効率においても、長い腸管中の野菜は消化と吸収の持続性にすぐれている。日に三度の食事をとることが健康をまもる必要条件である理由がこれでよくわかる。

 いくら野菜が薬だとはいっても、おいしさが本命であることはもちろんである。しかし、なかでも薬の色が濃いものもある。ショウガ、ワサビ、シソ、トウガラシ、ニラ、ニッキなどは香辛料とよばれて、薬に近い待遇を受けている。さらに、その香辛料よりもっと薬寄りにあるのがお茶だ。

 お茶の薬効の疲労回復、強心、利尿、整腸、消炎、殺菌は常識になっているが、その常識の何倍も大きな薬効をお茶がもっていることが最近の研究でわかった。健康な人でもからだの老化には勝ち目がない。お茶は老化防止に強い味方であった。お茶は抗腫瘍作用、いいかえれば抗ガン力と全身の細胞組織の老化防止作用にもたすけになり、高血圧症の予防もできる。

 お茶が野菜よりもすぐれていて何よりも有利な点は、四六時中何回でものめることだ。お茶の薬効成分は一生涯のあいだ血液中にあり、体内を流れつづける。人の一生を一曲の健康交響曲にたとえるならば、お茶はその主旋律となっていのちをリードしてゆく。